無題 9/20(日)

日常を綴る 9/20(日)

 

四連休中日の一日目。

今の住所に引っ越してきてから早1か月が経とうとしている。

つい最近まで前の職場で働いていて、その後専門学校に通いといったことをしていたはずだが、今同じように過ごせと言われたら絶対にできない。

最近、今日が何月何日かということや、季節感、どんな天気かといったことすらわからなくなっている。今年も夏は来て過ぎ去った。

このコロナ禍により行動は制限され、娯楽での外出がままならない、それもあるのだろうか。働き人は今日も満員電車に乗り仕事場へ向かい、帰りは感染予防のため寄り道もせず(もちろん個人の自由ではあるが)家へと向かう。

8月に入り、自殺者が急増したとニュースで見た。理由は当人にしかわからないことではあるが、コロナの影響で行かずにすんでいた学校や会社が再開しそれを苦にして増加したのではないかという説が書かれてあった。

かくいう自分も、自殺というと大げさではあるが、何も興味を持てなくなっている。一日を過ごすのが億劫に感じることが増えた。

忙しく働けども、娯楽で発散できず。世の中の働いている人たち皆を尊敬したい。少なからずそんな生活に嫌気がさすという人がでても何ら不思議ではないだろう。

今は二人暮らしをしているが、数年前、初めて一人暮らしを始めたことはどうだったろうか。

何をして一日を過ごしていたのだろう。自由に過ごし食べ音楽を聴きファッションを楽しみ、時には人知れず感傷に耽ったり恰好をつけたりしていたのだろう。今はもう思い出せない。どういう気持ちでそれらをしていたのか。漫画を読む、ゲームをするといったことでも新鮮さがあったのではないか。多分少なくとも不安は感じていなかったはずだ。

そういえば若いころ私は音楽を聴くのが好きだった。

家でも外でも音楽を聴いていた。音楽は自分を彩るファッションのようなものだと思っている。日常的に音楽を聴きながら、恰好をつけていたのだ。だが、今齢40近くになり、外でイヤフォンをしてまで音楽を聴くということが馬鹿らしくなってしまった。40にもなって何をしているのだ恥ずかしいと、ありもしない周りからの目線が気になるようになってしまった。自分がそう思うようになってしまった。音楽も服もあんなにも好きだったのに、年齢を重ねるだけでこうも変わってしまうのだろうか。

今街は無音であり毎日同じ服を着て生きている。